アカシア (KinKi Kidsを好きになった)
はじめに
きっかけは金スマ
CDデビュー25周年のKinKi Kidsにはまっている。
2022年7月1日、いっぱしのアイドルカルチャー好きとして、そして贔屓のグループであるSexy Zoneの風磨くんがコメントVTRで出るというのもあって、「チェックしとこ!」程度の気持ちでキンキが出た金スマを観た。
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— 中居正広の金スマ【公式】 (@kinsuma18_tbs) 2022年7月1日
今日の #中居正広 の #金スマ は🔔
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デビュー25周年✨#KinKiKids 2時間SP👀
「明日デビューだから、家族にも言っちゃダメだよ」
突然幕開けたスター人生💫
デビュー曲を手掛けた #山下達郎 #松本隆 が当時の心境を語る。
ジャニーさんとの思い出やこれからについても…🗻
よる8時57分💨 pic.twitter.com/IT7B8z1YsH
こういうの何周年になってもやってほしい
そしたらそこから記憶が飛んで、気付いたら7月21日「LOVE LOVE あいしてる」最終回スペシャルの日になっていたのだった。こりゃいわゆる沼にハマったというやつか。気付けば夜も眠れずスマホにかじりついて、ずっと25年の空白を埋めようともがいている。
しんどい、でも天国、みたいな日々が流れていく。
🗣またまたお邪魔します!
— 【公式】KinKi Kidsのブンブブーン (@bunbuboon_fuji8) 2022年7月21日
💙❤️お知らせ💙❤️
VS魂のあとは
『#LOVELOVEあいしてる
最終回・吉田拓郎卒業SP』
絶対に見逃せない内容です🫶🏻#KinKiKids #堂本光一 #堂本剛#吉田拓郎#篠原ともえ#坂崎幸之助#あいみょん#明石家さんま#木村拓哉#奈緒#生田斗真#風間俊介#LOVELOVEALLSTARS pic.twitter.com/DQjqIj19AT
シノラーの楽屋突撃とかこの番組だったんだなあ
蘇る幼少期のKinKi Kidsとの思い出
なんでここまでハマったんだっけ?と遡ってみるも、よくわからない。初めは金スマを観て「キンキの曲の思い出って結構あるなあ」と感慨深くなり、ゲオでベストアルバムを借りてきて、通勤時に聴いたりした。パソコンが壊れてるから取り込めなくて、プレイヤーのそばにiPhoneを置いて録音した。2022年とは思えないノイジーな音質でもキンキの曲はとても良かった。
頭の中で走馬灯が駆け巡る…。母が町内の宴会のお座敷で、誰かのママとカラオケデュエットしてるのを気恥ずかしくふすまの隙間から見ていた硝子の少年。保育園で仲良しの男の子とラジカセで踊ったジェットコースターロマンス。旅行中、知らない街の夜のショッピングモールの駐車場に響いていたのは薄荷キャンディー。
どれもこれもあの日くちずさんでいた曲で、体が覚えていた。SMAPが解散して以来、ひとびとの生活の中に長く存在してきたアイドルってのをひさびさに感じたなーと、どこかノスタルジックになった。
そこまでは覚えてる。
今突然キンキにハマった理由をまとめてみる
YouTubeの履歴を見ると7月中旬からちょこちょこ動画も観だしている。Twitterでもいろいろ漁ってたりしたかもしれない。でも1日の金スマから21日のLOVE LOVEまではとくにテレビ出演とかは無かったみたいなのだ。
なにに惹きつけられ、こんなに波に呑まれたようにハマっちゃってるのか、もうてんでわからない……わたしはどうしちゃったんだ。
だから、泳いで泳いで泳ぎ続けてやっと沖に上がれたこのタイミングで、今感じている、キンキが好きだと思った理由を3つに絞ってみた。これを書くことでどうにか気持ちを消化してみることにする。
(剛くんの話くらいには長いです。よければお付き合いください。)
理由その① 剛くんやべー
10代の剛くんを「見つけて」しまった
悔しいことに、2022年にもなってようやく、デビュー当時のキンキの映像や写真をちゃんと見た。まさに「エウレカ!」だった。おののいた。たしかに「硝子の少年」というのは2人のメタファーだった。
そして、
堂本剛……かっこいい~~~~~……!!!!!
具体的には17歳くらいだろうか。デビュー前なのかなあ。黒髪短髪のとき。今まで見た人間の中で一番タイプどんぴしゃど真ん中ストレートだと感じた。いやいや、何を今頃、当時多くの人にとってど真ん中だっただろうけど(笑)
そして今もなおそうなんだろうけど。私は今初めて知ったんだから。もーどうしようもない。
とくにこの写真にやられた。何の時なんだろう
その後のアシメヘアー時代も、えらいモテていたと聞く(改めて見ると、元からの良さにオリジナリティの要素が加わってより”らしい”のが、めちゃくちゃいい!)けど、私は10代の精悍な剛くんが一番刺さった。胸にナイフが…誰も抜いてくれない。
すべてが好き
まずキリリとして凛々しい眉毛の形が大好きで、それから、こけた頬から口のライン(むっとした感じが絶妙すぎる)、白目と黒目の輪郭のくっきりした瞳、全部いけてる。極めつけに額の形もいい。生え際も美しい。
すべて本物って感じ。で、極めつけに笑うとパッと印象が変わってこれが可愛い。この人は「傾国」の具現化だ。
流行り廃れない人間元来の美しさ。それは光一くんしかりで、他の誰とも似ていない。今デビューしても人気になるだろうし、これからもこんなアイドルは出てこないんじゃないかな?
CDデビュー前から精力的に活動してたことも、金スマで初めて知った。「こんだけ活動出来てればCDデビューにこだわらなくてもいいのかな…」みたいなの、SixTONESだけだと思ってた。
今までなんらかのアイドルに興味を持った時、デビュー初期までちゃんとさらったことがなかった。デビューしたてはだいたい髪型もファッションも垢ぬけてなくて、歌もダンスもおぼこいものだ。
でもキンキはデビュー前から完成したルックだし、流行が回っているからだろうか、衣装も曲も古びて感じず、今パフォーマンスを見てもめっちゃいい。サンチェ氏の振り付けもとても好きだ。そして2人が超踊れてるのだ。アイドルに求めたいもの全部ある。こんなにすごいグループがテレビに出まくってる時代があったなんて、誰も教えてくれなかったじゃない…。
現在の剛くんとのギャップもたまらない
で、当時のバラエティーやインタビューを漁るうちに、今の剛くんとこの当時の剛くんが結びつかなくて脳みそがバグってきた。25周年で出てた色んなテレビや雑誌で今のキンキを追いかけながら、SNSでは昔の映像を夜な夜な片っ端から観ていったが、あまりにも出で立ちが違って、私の中の何かが優しく引き裂かれる。
10代後半と今で違って当たり前だけれど、デビュー当時の剛くんがすでにきちんとパッケージングされいるから「成長した」じゃなくて「別人だ」と感じる。10代は周りが求める自分をやろうとしてしんどかった時期だそうだが、これがそのスイッチの入っていた剛くんなら、なんて「装う」ことがじょうずなんだろうか。過去の映像の継ぎ接ぎの印象ではあるが私にはシャイで、元気に頑張っていて、相方大好きな、年相応のナチュラルな少年に思える。私はその虚像も含めて当時の剛くんがとても好きだ。根っからの表現者なんだなと思った。
というか、剛くんは時期によってそれぞれ、いつも違う人だ。(笑)髪型やファッションもだけど、話し方も歌い方も仕草も顔つきも違うので、まとう雰囲気も常に別物になっている。なんなんだ、太ったり痩せたりして。デビュー当時の剛くんの画像を顔変換アプリでおじさん化しても、今の剛くんにはならないだろう。色んな夜と朝を繰り返して、たどり着いた現在の姿なんだな。剛くんを見ていると自然といつも25年という月日の長さについて思いが巡らさる。
でもふとした時同じだなとも思う。特有のあざとさも、面倒くささも(笑)、笑顔も変わっていない。
この往復作業を繰り返すうちに、だんだん面白くなってくる。この時の歌い方が好きだなあ、この時のまゆげ太いのなんや可愛いなあ、よくこのへんな衣装許されたな。なんか宗教みたいなこと言うようになってきたな。でも俗っぽいところも結構あるよな。器用だなぁ、へんだなぁ、おもしろいなあ…
そのうちに若いときだけじゃなくて、どの時代の剛くんもいいな…こんなに違うのは特殊能力だな…と思うようになってきた。そしてそうやって比べられるのは今も剛くんが活動しているからである。これが何よりも言葉にできないほどの、尊ぶべきことだと感じ入る。そしてそれは恐るるべきことでもある。(笑)
なので、正しくいえば「10代の剛くんを入口に堂本剛くんの魅力に気づいてしまった」、というのが1個目の理由だ。
理由その② 2人という最小の単位
2人組のメタファー
今はジャニーズも好きだけど、私の青春はジャニーズではなくKPOPだった。中でも東方神起というアイドルグループを推してきた。かつてはキンキのファンを見て、畑は違えど2人組のオンリーって同じこと言うんだな~と大いに慰めになったものだった。(笑)
2人組のアイドルって結構珍しい。今はとくに大所帯グループ乱立期だし超珍しいかもしれない。(キンプリが仲間入りすることになるとは)
大人数の中でとっておきの2人組を見つけるのと、2人しかいない2人組を見つめるのは全然違う行為だ。
東方神起も、2人の意図しないところで5人から2人になるしかなかったグループなので、スタートから2人のキンキとは構造が違う。でも、「ふたりぼっち」の閉じられた世界のイノセントさみたいなのとか、「兄弟」、だけじゃなくて、「パートナー」「相棒」だけじゃなくて、「夫婦」「恋人」に比喩される関係性になっていくのは同じだなと思う。「2人」というものの表現の種類が現状それくらいしかないのもあるかもしれないけど。
キンキはとくにその色がかなり強いみたいだ。キンキについて剛くん本人が自分たちを夫婦、自分を「婦」に例えたり、光一くんとの体験でラブソングを書いたり。小さい頃アルバムの中の一曲として好んで聞いていた「愛のかたまり」が本人達制作と知ったときはひっくり返ったが、「『電車に乗るな』は剛が光一から言われた言葉」という逸話を今しがた知り違う意味でひっくり返った。そんなこと言ってまう光一くんの過保護さ…庇護欲?にもたまげるし、それを「嬉しい」と感じてしまう剛くんの情緒も結構すごい。で、それをラブソングに落とし込めるのもすごい。こんなグループ見たことない。見たことないものばっかりのグループ。
(古い言い方だが)本人達に“BL売り”みたいな意識があったのだとしても、お互いがお互いを好きなのがベースにあるのが漏れ伝わってきてるのがとてもいい。(ステージ上でチューはアイドルの現場で決してよくある風景ではないでしょう)
2人とは、1人と1人が一緒にいること
本人達が「自分たちは全然違う、合わない」、と言っているし、ものの感じ方や考え方が違うところはたくさんあるのだろうと思う。でもそれは違う人間だからあたりまえであって、お互いが同化してしまうくらいずっと近くにいたから、ずっと一緒にいたからこそ出てくる言葉に思えてなんかいい。ちょっとした違いも気になるというか。
それにバディは正反対であるべき、というのを剛くんと光一くんを通して改めて確信したくらいだ。同じなら一人でいいのだから。本人達もそれをすごく自覚している感じがする。
でも金スマで中居くんに「むかついたりしないの?」って聞かれて「お互いにそんなに興味ない」とか言っていたのは「なんじゃ?」と思った。そんな説明だけでこっちに伝わるわけないだろ!
東方神起は兵役やチャンミンの結婚を経て今現在は普通に仲のいい信頼のある2人みたくなっているので、このもぞもぞ意識してる(?)関係にはちょっと嬉しいというかほほえましいというか…(笑)でもなんだか何とも言えなくなる。恐ろしい。今年44歳だぜ。
蛇足だけど、2人とも(光一くんは願望あるらしいのに)結婚してないのもなんかほんとよくない。するのもしないのも当たり前に本人の自由だし、しない(できない)のには向き不向きとか、甲斐性の有無とか、タイミングとか、仕事しすぎとかいろいろあると思うけど、根底に「もう人生の相方いるから」ってのがどっかにあるのかなあと考えてしまわさる。よくないコンビ。13歳から一緒だとそうなるのかな?想像しようとしてもできないことだ。(いや、なるかなあ…)
とんねるずのタカさんがノリさんについて言っていた「女房や子供もいるけど、それよりちょっと濃い感じがしちゃうんだよな」ってのを思い出したりした。
“KinKi Kids”が2人組のメタファー
そんな、冷静に見ると奇妙な(笑)2人を見つめていくのは、“インタレスティング”な面白さがある。(めっちゃファニーでもあるけども)
若いころのじゃれあいなんかはほんと可愛すぎて、ずっと見ていたいと思う。
今はそこまでベタベタしてない(?)けど、やっぱり2人だけの世界になっちゃってるときはよくあって、それはどうしても「イチャイチャ」と形容されるような類のものだ。
それでいて初めのころから、そして今も、「2人」の難しさや、わずらわしさ、窮屈さ、やりきれなさ、寂しさ、そういうのもなんかたぶん内包している。人が2人でいるというのは1人と1人がそこにいるってことなんだな。
だからこそ、1人と1人が愛情を掛け合っている姿の尊さを思い出す。一緒にいるために、思いやり、創意と工夫、距離の保ち方、そういうもので誤魔化していくことも時には悪くないのかあ、ネガティブじゃないのかな。と考えさせられたりする。まさに、リボンがほどけないように。キンキを見ていて、私自身内省するような時間も増えていると思う。家族にやさしくできたり。
最近はどんな2人組を見てもキンキに見えるようになってきた。(笑)関西弁の芸人コンビとかだと、ほぼキンキやん。この世の全て剛と光一に分られるじゃないけど。キンキを何かの名詞に当てはめるではなく、キンキでこの世のすべての2人組を例えるべきなんだもう。
はやくライブで実物を見てみたい、その時わたしは何を感じるんだろう。それだけを考えているこの頃である。
可愛いキンキの全てが詰まっているMV
理由その③ アメージング・ラブ
そして曲も良いという無敵感
最後の決め手はやはり音楽だ。
昨年の夏、テレビの露出をチェックしていく中で、自動的に最新シングルであった「Amazing Love」をずっと聴くことになった。
YouTube用のライブ映像、フルサイズ生歌最高!
どれを見ても全部生のバンド演奏でやっている贅沢さにまずびっくりした。(剛くんの耳の状態をおもんばかっているのか)そして音のかっこよさにびっくり。音楽リテラシーのない人間でも、何回か聴いているうちにさすがに「この曲はめっちゃいい曲」とわかった。(笑)山下達郎ってすごいんだ!と。
センスのいい音楽好きは若い人でも山下達郎を聴くイメージがあったが、わたしは「へえ」と眺めていただけだった。キンキを通さなければ一生気付かなかったかも。
特にサビ前のギターのフレーズでビリビリきた。一回ためるかんじ!なんじゃこの良さ~!と脳に落雷が落ちた。それに、Bメロで剛と光一が交互に一音ずつ歌うのも、毎回聞き流せない!と聴き入ってしまうから、フックの作り方もすごい。
この歌割も山下達郎氏のアイデア(本人のラジオで言ってた)ということで、必殺仕事人である。デビュー曲との対比のように明るい曲調ってのも、にわかファンでもぐっと来た。25周年が祝福されている。
負けず劣らず2人の詞もセンスがいいのだ。ほんとすごいと思う。作詞だけが生業じゃない人の作詞ってこんなにそつがないものではないのでは。もっとダサくていいのでは。とアイドルオタクは思う。
そんなの「愛のかたまり」でもう分かってた一方で、一般的にここまで凄いクリエイターだというイメージも無い気がするのも面白い。ほかの顔も沢山あるからかな。大したことじゃないよって顔でやっているからかな。(笑)
作詞作曲で分けずにキンキふたりで書いた歌詞でもこんなにまとまるんだってのにもびっくりした。ファンが楽しむだけじゃない、開けた歌詞っていう感じ。キンキの曲だけど、万人の曲でもあるような普遍性がある。でもメンバーカラーについては入れる(笑)。アメージングアイドルだ。
こんなにたくさん良い曲があってたまるか!
それから達郎さん繋がりで2人も好きだという「KISSからはじまるミステリー」を初めて聴いたのだが、これがダメ押し決定打だったかもしれない。キンキで1番くらいに好きな曲になった。
イントロから痺れる!
それから吉田拓郎作曲の「全部だきしめて」(これは知ってた)を改めてじっくり聴いて、もう最高潮に高まってしまった…「いい曲ってこういうこと」と感じる曲の多いことよ。
音楽的なことは説明できないけど、歌詞に限って言えるならばSMAPとか小室ファミリーの、90年代~00年代初頭の、芯を食ってるというか、含蓄のあるというか、難しくないのに染みる歌詞って、ほんとにたまらなく好きだなと改めて思い直した。フラワーの「心の真ん中に空いてる穴でも直せないことなど無いと信じることさ」なんて言い回しなんか、もう。
その普遍性に加えてなんだか絶妙なほの暗さがあるのである。暗いけど光がないわけじゃなく、まさに気配が感じられるようなのだなあ、キンキキッズって…………。
歌がうまいとはこういうことか〜
2人の歌声がまた、それにマッチする。私はこのたび「歌が上手い」という意味が初めて分かったと思った。
また東方神起の話だけど、彼らがよく「自分たちより上手い人は沢山いる」と言っている。(「だが、自分たちにしか出せないカラー、出来ないステージがある。」という文脈で)
それを聞くたび、いや、うまいけどな~と思っていた。たぶんどの世界でも「上手い」にはいろいろあり、東方神起はライブ全編ぶっつづけで踊りながら歌うということに特化しているというかんじ。その姿に感動するというか。気概のデュオである。
対してKinKi Kidsの歌は世界観を提示できる。達郎さんの「濡れてる声」という表現、大好きだ。エモーショナルを伝えてくる声なんだ。
ハモりについては、どちらとかは比べられない、それは2人組の武器でありプライドだと思う。どちらも美しい。
しかしKinKi Kidsは歌唱で歌詞の解釈を表現出来ているのだと思う。
例えば「Secret Code」は、歌詞内容的にはそそられないタイプの曲だけど、剛くんの歌い方でいつも楽しく聴けてしまう。聴きたいなと思ってしまうし、人を「ちょっとヤな女」呼ばわりしててもいやらしくない、感じ悪くないし、なんならこの曲の主人公に好感が芽生える。(笑)
アイドルでたまに、ダンスがうますぎるゆえグループの中で浮いてる子っている。解像度が違ってしまって、一人だけ全然違う振り付けに見えない。それと同じように「この人が歌うと歌詞の意味が文字以上のものになる」ってことがあるのだと知った。背景が見える、みたいな。
こんなにハマるまではキンキが歌上手いと思ってなかった。クセが強いとは思っていた。小さい頃雑誌で2人のクセの真似の仕方をレクチャーする記事を読んだ記憶がある。(笑)
実際にちゃんと耳を傾けると、剛くんの歌がすんごいなーと思う。上記のキンキの良さは剛くんが手綱を握っているような感じがする。
だからといって光一くんが劣っているとかではないのも、みんなが知っていることだと思う。手練2人なのである。光一くん、とてもすごい。光一くんは声が(歌声も、話してる時の声も)ほんとに最高の低音の響きで、歌っている姿を見て心が勝手にキュンとしてしまう。(笑)剛くんとは違うときめき。そしてそれを相殺するような(笑)悲しみも含むのがまたいい。
この繊細さや甘さは正直2人になってからの東方神起に感じたことはなく(笑)、うまさというのは声とか喉そのものとか、資質そのものの話でもあるのかな〜、本人達もそれを承知なのかな。とようやく理解した。
(そもそも東方神起にとって日本語は母国語ではないので比べる対象としては適切じゃないかもれないけど…
自分が長年見てきたアイドルとして、比較させてもらいました)
「歌が上手い」の評価って「生放送でどれだけ音程が狂わないように歌うか」とか、「どこまできれいで高い声が出るか」とか、技術のほうに気がいってしまってたけど、歌だって絵や演技とかと同じように、表現力も含めて上手い、下手、が決まるのだな~というのを体験できた。技術だけでなく、技術を使って表現する巧さも必要。
1/fゆらぎってやつ、マイナスイオンと同じで実体が無いと思ってた。よく眠れる曲とかもなかったし、曲を聴いて、歌唱に感動して泣く経験もなかったし、そういう人の気がしれないとか思っていたので、ちょっとした革命が自分の中でたくさん起こった夏なのだった。
おわりに
剛派?光一派?という話を当時わたしもした記憶があります
そんなわけでわたしは今KinKi Kidsを通して色んな感情や学びを取り込んでいっているのだ。キンキのことはもちろんずっと知ってたし、聴いてたし、観てたし、ドラマもめっちゃハマってたのに。深く潜ってみないと見られない景色がある。これも学びだ。
そういえば幼かったわたしは光一くんと深キョンが出てた「リモート」にのめり込んでいた。最終回が始まる前なんて息が止まりそうなほど緊張してテレビの前で待機していたのを憶えている。
あれは今思えば娯楽にハマる原体験の一つだった。あの時わたしは夢に出てくるほど光一派だったが、生きているうちに剛派タイプの人間になってるな~自分、とぼんやり思ってたっけ(サブカル系的な)。
そしていま晴れてキンキキッズ派となった。幼き頃と同じように、今度はひとり暮らしのテレビの前で、LOVE LOVE あいしてるを正座待機しているわたしが不思議であった。じつはずっとキンキとの縁はつながっていたかのような錯覚におちいる。いや、きっとそうなのだろう。今も変わらず活動してくれるってのは、そういうことがあるってことだ。そうしてくれている。
ずっとお互いの特等席にいてね
数あるKinKi Kidsを通して分かった気がしたもののひとつとして、この曲をこの記事のタイトルにした。好きな歌だったが、この歌詞の主人公はどんな人の話なのだろう?と分かりきれずにいた。キンキだと思って聴いてみると、こんなに大きい感情を持ってしまうのも納得しちゃうなあと思った。
冒険の先に光の正体を知る時がもし来るなら、それを見せてもらえることができるように、まずキンキより長生きしたいな〜とか思う。こちらはスタンド席でも、お茶の間席でもいいんで。
これからも2人とファンの方が健やかに活動していけますように。
ゴールはきっとまだだけど
もう死ぬまでいたい場所にいる
隣で 君の側で
魂がここだよって叫ぶ
泣いたり笑ったりする時
君の命が揺れる時
誰より 近くで 特等席で
僕も同じように 息をしていたい
BUMP OF CHIKEN / アカシア